冬の朝に湯気をたずさえて──日常を豊かにする無添加パンの物語
冬の朝は、気持ちがしゃんと引き締まる。真っ白な息が空気に消えていくのを見ると、なんだか自分もどこかへ消えてしまいそうで、足先に力を入れて踏みとどまる。けれど、扉を開けて台所へ入れば、見慣れた電気ポットがゴポゴポと湯を沸かしていて、ほっとする。まるで私のささやかな日常を、変わらぬ調子で支えてくれる小さな相棒みたいだ。スマートフォンを取り出して、思わず笑みがこぼれるのは、その先にあのパン屋が待っているから。
私はどちらかというと昔気質な人間で、パンは対面販売で買うのが一番、と頑なに信じてきた。匂いを嗅いで、色を見て、重量感を確かめて、それから店員さんとちょっと立ち話して……そうして手に入れるパンこそが「本物」だと思っていた。でもいまや、スマホで「無添加パン」の通販サイトを開き、あれこれ吟味する時間がいちばんの楽しみになりつつある。時代は変わるし、私も変わるのだろう。
それにしても無添加パンだの、グルテンフリーだの、世の中は随分と小難しそうなパンを作るようになったものだと、初めは鼻で笑っていた。けれど、食べてみると「なんだ、うまいじゃない」と脱帽した。こういうのは食わず嫌いがいちばんもったいない。噛むほどに広がる、添加物なんて一切使わない素材本来の香り。酵母が生み出す独特のふくよかさ。そもそも無添加で賞味期限が短いなら、作り手はそれこそ命がけのように真摯にパンを焼いているはずなのだ。そう思うと、通販でポチッとする行為にも、どこか人間くさいドラマが宿ってくる。
私にはまだ小学生の娘がいる。アレルギー体質ではないにせよ、子どもの口に入るものには気を遣いたい。どうせなら、余計な着色料や保存料が入っていないパンを食べさせてあげたいと思うのが親心というもの。実際に届いた無添加パンはふんわりしつつも芯があって、口の中でほどけるたびに、まるで「私たちは心からあなたの体をいたわっていますよ」とでも言っているよう。自分も娘も、その柔らかい包容力に癒されるのだ。
ちょっとだけ後ろめたさを感じるのは、これほどのクオリティを“お取り寄せ”で手に入れてしまうこと。昔はパンを買うにも、パン屋の扉を押し、カウンター越しに香りを浴び、そして焼き上がりのトレーを眺めてワクワクしたものだ。それが、今やスマホの画面越しに「あれもいい、これもいい」と目移りして、指先ひとつで決済する。なんという簡単さ。味気ないといえば味気ないが、便利さの引き換えに失うものが、そう多いわけでもない。少なくとも、届いたパンの湯気を感じれば、私はあのパン屋の人たちの労力や熱意をそこに嗅ぎ取れる。距離はあっても、心までは遠くない気がする。
あるとき、娘が学校から帰ってきて言ったのだ。「クラスの友達がグルテンアレルギーだから、給食でパンが出るときは特別なものを持参するんだって」。ああ、そうかと思う。私の父親は食の好き嫌いがうるさく、「食事は白米がいちばん」と豪語していた。それなのに、今やパンが主役の食卓も珍しくないし、アレルギーを持っている子も少なくない。だからこそ、素材を厳選し、余計なものを入れずに、グルテンを調整したり、酵母に工夫を凝らしたりする職人がいる。そういう時代だから、パンがより一層「物語」を持ちはじめたのかもしれない。
そう思うと、無添加パンやグルテンフリーが並ぶ通販サイトは単なる食の売り場ではなく、個々の物語を交換する「市場」に見える。実際、レビュー欄を読んでいると、人の優しさや、その影にある苦労がちらほら見えてくる。「子どもがアレルギーだけど、家族みんなで同じパンを楽しみたい」とか、「自分へのご褒美に最高」とか──そうした言葉の一つひとつが、パン生地のようにふくらんで、私の想像力を膨らませる。もはや、通販でパンを買うこと自体がちょっとした冒険だ。
先日届いたパンにかぶりついたとき、淡泊なようでいて、奥底にほんのりと甘みが広がった。その瞬間、幼いころに祖母が作ってくれた素朴なおやつを思い出し、心がきゅっとなる。素朴さって、不思議だ。気づかないうちに胸の奥深くを揺さぶり、いつのまにか人を優しい気持ちにさせる。無添加や天然酵母、グルテンフリーといった看板がどうあれ、結局は「おいしいか、おいしくないか」。そこには嘘がつけない。それをハッキリ証明してくれるのが、体にすっと染みこむ味なんだろう。
だから私は今日もスマホをつまみに、パンのページを眺めるわけだ。明るい朝も、雨の夕暮れも、コンビニの棚とは違う価値観にアクセスできるこの時代に、少しばかり感謝したくなる。遠い見知らぬ土地で、誰かが粉をこね、酵母を育て、無添加を貫いて生み出したパン。それがわずか数日で私の食卓にやってくる。香りを抱えた段ボール箱を開けるたびに、私の朝は確かに豊かになっているのだ。
思えば生活なんて、ほころびをつなぎながら進む日々の連続だ。けれど、その隙間を埋めるように、無添加パンのふんわりとした優しさが差し込むことで、少しだけ前を向ける気がする。たとえそれが、スマホを通じて通販カートにパンを入れるという小さな行為だとしても、そこに本当の喜びがあるのなら──私は迷わず、もう一度指を動かす。心からおいしいパンの魅力に、やっぱり抗えそうにないからだ。